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株式会社 畳のほりごめ
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ソースはどこか?

この話が有名になったのは、タモリの出演する2つの番組で紹介された事による。
おおよその内容は以下の通り。
「織田信長は、戦の際に畳を弓矢や鉄砲から身を隠す盾として使おうと考え、大きさを1800mm×900mmとして定めた」
というものである。

Tackmixの考察

以下は、Tackmix個人の考察である。

番組の取材ソースはどこか?

私もこの番組を見ていたのですが、特にソースや記述の根拠などを示してはいませんでした。インターネット上で調べてみると、「織田信長が決めた」という記述は1つのサイトにのみ書かれています。
また、城にある畳が防御用として考えられていたことは私も聞いていました。それは、ちょっと意味合いが違っていて「畳の大きさは人ひとりが隠れるのにちょうど良い大きさだったために応用しようと考えていたらしい。理由は、ワラが圧縮された畳は、鉄砲の弾や弓矢が通りにくいからである。」というものであり、「人ひとりが隠れられるようにした」ではありません。戦国時代は戦に対しての備えは重要なことであり、あるお城では、畳床を通常の稲ワラではなく、食用の植物(確か芋系だった)で作っていたようです。
上記サイトが、これらの内容を混同して記載してしまったのではないかと思います。

直接肯定できる資料はあるのか?

残念ながら、どんな書物を調べても「織田信長が畳の大きさを決めた」という記述はありません。

直接否定できる資料はあるのか?

これも、残念ながら安土城が焼失しており窺い知ることができません。

3つの疑問点

ここには、3つの疑問が出てきています。
以下に考えを述べます。

本当に畳の大きさを決めたのか?

  • 畳は、鎌倉時代から室町時代にかけて、現在の和室と同じように、部屋内に敷きつめて、床材として使用しはじめますが、それまでは、板の間の生活が殆どで、寝具や高貴な人の権力の象徴としての「置き畳」的な使われ方がされていました。
    (現存する最古の畳は、正倉院にある聖武天皇が使用したとされる物で、現存する最古
    の畳敷きの建物は銀閣と言われています。)
  • おそらく、その時代の建築モジュールが、畳の大きさにも関係があり、いわゆる「京間、
    本間、本間間」の関西・中国・四国・九州の3尺1寸5分×6尺3寸(955mm×1910mm)のサイズであったのだろうと思われます。
  • 人間の歴史の中で、長さや重さなど、数量を測る必要性はかなり昔から認識されており、親指から人差し指までの間の距離や、両手を広げたときの長さなど「数量を合わせる方法」は古代から工夫されていました。現物同士を並べるほかに数値を合わせたいとすれば、我々は定規を使います。日本最古の定規は、7世紀頃の物が出土していますが、これとて現在の全長に渡って目盛と数値が書かれているものではなく、切り込みが何ヶ所かはいっているだけで、書物の行間を揃えたりするための物だったと考えられています。
    この場合も「あっちと同じ長さ」という感覚だけです。
  • 日本家屋ではどうだったかというと、畳に限らず、建具や柱の間隔が全て、一間(いっけん)を基準としていたことが判ります。これは、元々両手を広げたときの長さだとされていますが、この長さは人間ひとりの空間としては便利な長さだったのではないでしょうか?
    よって、建物の基準が、一間や半間が基準となっていったと思われます。
    この一間という「長さの単位」が有れば、現場あわせをしない造作物は、持ち寄ったとしても長さが合い、便利だったのではないでしょうか?畳や建具も、「この時代のこの地方の一間」という「共通の長さ」で作られていただけ、というのが私の見解です。
  • この場合、細かい目盛がある定規は必要なく、せめて一間の長さと半間の長さが判れば大丈夫だったのでしょう。その一間が6尺3寸だろうと、6尺5寸だろうと、あまり意味はなかったと思われます。モジュールの単位としての「一間」が「共通である」ということが重要なのですから。
  • 日本各地で畳の大きさが違うのも、ここに原因があるのですが、「地方で偏りがある」ということが重要なのではなく「その地方で共通の長さ」であるということです。このように、地域によって畳の大きさが共通しているのは何故でしょう?これは、その時代の中心地や文化が広がるのと同時に、検地が行われたから、と考えています。
  • 検地というと、豊臣秀吉の太閤検地が有名ですが、その前後にも検地は行われています。織田信長と徳川家康です。織田信長の検地は、自己申告制ではありましたが、土地の広さを測る単位、1辺は一間とされており、それが6尺5寸であったことがわかっています。太閤検地は6尺3寸が一間、徳川時代は6尺0寸でした。これは、主に増税目的だったといわれています。
    ちなみに、太閤検地の6尺3寸=1間というのは、当時の長さを現在の定規で測ってみると6尺3寸であった、というのではなく、明確に定められており、国指定重要文化財として唯一現存する「検地尺」によって窺い知れます。検地尺は、檜板製で表には2つの×印が1尺の距離で記されており、その10等分として目盛があり、1尺=10寸となっています。そして、石田三成の花押と署名があり、裏面には「この寸をもって、六尺三寸を壱間にあい定め候て、五間に六十間を壱反に仕るべく候なり」と記されており、当時の1間が6尺3寸であったことが、明確になっています。これは、同時にそのころには、ある程度正確な寸単位の基準がどこかにはあったことが判ります。
  • ここで、考えてみましょう。
    織田信長は、検地のために一間という基準を6尺5寸と明確に指定しました。建物の寸法が1間や半間で基準としていたのならば、共通の長さとして基準にも使われやすいでしょうから、信長時代の建築物が畳を基準に作られていたとするならば、なぜ畳の大きさは6尺5寸ではなく6尺3寸になってしまっているのでしょうか?この時代は2つの1間が存在していたのでしょうか?
    やはり、畳は「後から入れるもの」として認識されており、柱の中心から隣の柱の中心までが6尺5寸の1間であったと考える方が自然だと思います。その柱の太さがある程度共通だったとすれば、畳の大きさは規格化できたとも言えます。この、遠回しな寸法の制限が、「信長が1間を決めたことによるもの」とするならば、確かに「信長によって畳の大きさが決められた」とも言えるでしょうが、それは結果論ですし、ましてや「戦のために〜」という理由ではないことは明らかでしょう。

  • 同様な理由で、一間の長さが時代と地域によって変わってしまい、各地の畳の大きさが検地などによって「結果的に」「その地域の畳の大きさ」として共通化されたのだと考えます。

それは1800mm×900mmだったのか?

これは、前出の通りあり得ないだろうと思います。掻い摘みますと、以下のようなことです。

  • 当時の建築基準の一間が6尺5寸であり、畳の大きさはそれ以前から6尺3寸(1910mm×955mm)である。ここで唐突に1800×900がでてくるのは不自然。
  • その後の畳の大きさが、検地とともに小さくなっており、1800×900の地域も存在しない。
  • どの時代を見ても、その大きさの畳が規格化された背景もない。

なんらかの理由が出てこない限り、このサイズで作らせたというのは無理があります。

  • その大きさの決め事はどの範囲(例えば全ての建物)まで規定したのか?
    仮に、織田信長が安土城の畳の大きさを1800mm×900mmと指定したとしても、その他の建築物に影響があったことは窺い知れませんし、地方の畳の大きさにも影響していません。
    その大きさが「一間は6尺5寸として・・・」が建築物にまで影響したのだとすれば、それは「中京間の地域では」という解釈も成り立ちます。

結論

これまでの内容から推察するに
「織田信長は、戦の際に畳を弓矢や鉄砲から身を隠す盾として使おうと考え、大きさを1800mm×900mmとして定めた」
というのは、誤りである可能性が非常に高い

出典

上記内容は、Tackmix自身がtatami-shop.net内ブログにて記述した物を再編集したものです。

放送事例

2008年11月26日 笑っていいとも にて、再び「畳の大きさを決めたのは織田信長」との紹介がされる。


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